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水餃子が今でも好きなわけ(092)

  • 執筆者の写真: K
    K
  • 2021年3月24日
  • 読了時間: 3分

餃子には焼き餃子、蒸し餃子、水餃子がある。

揚餃子なんてものもあるけど、

なんか不健康さがにじみ出てて正直あまり好きじゃない。


一方、焼き餃子は好物だ。

ラーメン屋でも中華屋でもシンガポールで餃子を見かけるとついつい注文してしまうし、

Balmoral PlazaのPu Dong Kitchenの餃子はもう、

特に肉汁が小籠包のように溢れ出てて、定期的に食べたくなる。

まぁ、ここのイチオシは焼き小籠包なので、それはまたいずれ書くとして。


でも水餃子は焼き餃子の比ではないくらい大好きだ。

モチモチの分厚目の皮がなんとも言えない。

ツルッとした口当たりで何個でも食べれてしまう。

シンガポールでも水餃子があれば必ず水餃子を注文する。


でも昔から水餃子が好きだったのかと言うと、むしろ水餃子の存在を知らなかったに等しい。

好きになったきっかけというか、水餃子の旨味を知ったきっかけはなんだったかというと、

大連だ。


中国の遼寧省の大都市、大連市

お誘いでもない限り、行く機会のなかった都市だけど、

そのお誘いが来た時があった。


もう10年以上も前のことだが、

知り合いの社長さんが、日本で中国からの研修生を受け入れて、期間満了で中国に帰った元研修生の、

故郷が大連市、ということで非常に強い結びつきが合った。

そこで軽い感じで一緒に行くか?とお誘いを受けてご一緒させていただいたのが人生で初めての大連だった。


大連の郊外にその元研修生の実家があり、

お邪魔させていただいたとき。

まさにお母さんが大量の水餃子を作っている最中で、

お布団の上に巨大な木の板を敷き、

皮を平たく伸ばしては肉を詰めて包んでいく、という作業をしながら、

出迎えてくれた。

市販の皮なわけがない。

当然のように皮から手作りだ。

(以下の写真が恐ろしく不鮮明なのは当時のiPhoneはiPhone3GSだから)



当時、餃子といえば焼き餃子、

と思っていた浅はかな日本人の自分にとっては、

沸かしたお湯で茹でていくお母さんの動きを見て、「焼かないんだ」などと思っていたけれど、

出してもらった水餃子を食べてみると、

それはそれは恐ろしく美味しかったので、

もりもり食べてしまった。







その時、

そもそも焼き餃子が主流なのは日本であって、

北京以北では基本は水餃子だと教えてもらった。











餃子は、蒸すのか湯がくのか、が問題であって、

焼く、という常識は中国の常識ではなく、

日本の常識なんだと初めて知った。










夜にも元研修生ご夫婦の家にお邪魔したが、

そこでもやはり水餃子でもてなしてくれて、

昼も夜も水餃子祭りとなったが、むしろ幸せだった。

美味すぎて。















以来、水餃子の虜だ。

普段、グルテンフリーだなんだと気を使っているとしても。

あくまでもモチモチの分厚い皮、ちょっと噛みごたえがあるくらいの。

そういう水餃子が正義であって、

ツルツルっと何個でも食べるのが正しいと信じている。


思い出は美化され修正されていることは当然だが、

あのときの水餃子を超えるものにまだ出会っていない。

と思っている。



豚やらアヒルやらいろいろ飼育されていました。




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自分にも40歳がやってきた。

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