立ち上がらないのはお前自身のせい(171)
- K
- 2024年8月22日
- 読了時間: 3分
「つまづいたのは、誰かのせいかもしれない。
けど立ち上がらないのは誰のせいでもないわ。」
これは峰不二子のセリフだそうだ。
経営者をやっていると、
これはやばい
って瞬間が何回かあると思う。
自分にとってそれは、次男が生まれてくる数か月前から始まった。
本当にやばくて、何度も何度も計画立て直して、
ギリギリ乗り越えられるかもしれない、というところまでいった。
が、その直後、だいたいそういうときにトドメを刺してくるのは身内だ。
信頼を置いていた仲間が裏切る。
いや、裏切るというよりも、そいつもそいつでギリギリだったから、
その選択しかなかっただけだろう。
でもこちらとしては、
その信頼を計算に入れてギリギリの計画を立てていたわけだから、
もう完全なまでのトドメだった。
頭の中が真っ白になる、なんていう表現がよくあるが、
あれは実に見事に言い表していて、本当に真っ白。
自分が命を絶つことで辻褄を合わせようと考えるほど、
それほどダメ押しの一撃。
というわけで、
次男が生まれる数か月前から、
次男が生まれてきて数カ月後まで、
だいたい半年間くらいの記憶がほとんどない。
覚えているのは、次男が生まれる前後1週間程度だ。
その1週間はさすがに仕事を休んだから覚えている。
まだ1歳だった長男を連れて、妻のいる病院へ行き、
次男の出産を長男と一緒に経験し、
次男を家につれて帰り、と、そこまでだ。
そこだけの記憶。
あまりにも追い込まれた辛い経験をすると、
人はその記憶を頭から追い出そうとするのかもしれない。
ああいうギリギリは経験しないに越したことはないけど、
自分はあの経験のおかげで、
自分の中の何かが「バチン!」と変わった。
その時はがむしゃらでわからなかったけど、
ずいぶん後になって、振り返ってみて、はっきりと自覚した。
「あそこだったな。」と。
あそこで自ら命を絶たずに這いつくばりながら前に進んだときの気持ちは、
まさに、峰不二子のセリフ通りだ。
誰かのせいで転んでるんだけども。
足引っ掛けられたんだけども。
意地悪されたんだけども。
そこは人のせいだったかもしれないけど、その後立ち上がらないのはもはやお前自身のせいでしかない。
あそこで立ち上がらなければ、
じじいになったときに、飲み屋であのときのことをグチグチ言ってる人になっていたわけで。
あんな経験は二度とごめんやけども、
あれで「バチン!」と気合と覚悟が変わったのは間違いないので、
振り返ってみれば、ゾーンに入るきっかけをもらった瞬間だったとも言える。
結果、その経験は、悪くないものだ。
もがいてもがいて暗闇から脱出するきっかけとなったのは、香港での仕事だった。
実に久しぶりに香港へ行く用事があり、当時と変わらない夜景を見ながら、
そんなことを思い出した。
これをルパンに言われるんじゃなくて、
峰不二子に言われるってとこがいいよね。
